この建物は環境省のエコハウスモデル事業です。設計の早い段階から、先進的で普及性のある家づくりについて様々な検討を行いました。
敷地の持つ可能性を慎重に読み解くところから家づくりを始めると、太陽や、風、雨、緑など、利用可能な資源が見えてきます。それらを丁寧に組み合わせた家が「までいな家」です。
不思議なデザインにはそれなりの理由が隠れています。コミュニケーション感度をちょっとだけ高めに設定して、まずはゆっくりと空間を感じて下さい。

「までい」とは飯舘村ではよく使われる方言です。「丁寧に」「心をこめて」「時間をかけて」「じっくりと」、そんな心がこめられています。

 


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■竣工 / 平成22年3月
■施工 / 本体工事  (株)古俣工務店 川俣支店
       外構工事  (株)英工務店
 
■Q値 / 1.45W/㎡・K
■暖房 / 薪ボイラーによる床下温水暖房 (全館暖房)
       薪ストーブ(補助暖房)

 
震災後、住まいの水道が復旧しましたので各地の友人から送っていただいたペットボトルの水を救援物資として届けてきました。放射線量で突然全国に知られてしまった村ですが、普段は図咽喉六千人の静かな村です。日本で最も美しい村にもなっています。地震の被害もほとんど無く、原発がなければ津波の被害を受けた方たちの避難場所となるはずでした。
 
私はサラリーマン時代にこの村にたくさんの建物を設計してきました。独立してからは環境省のエコハウスを設計するチャンスをいただき、昨年3月に「までいな家」が竣工しています。
建設中に私が書いた工事日誌が村のHPに残っています。
 
「までいな家」は地震の被害が全くありませんでしたので、震災直後から津波被害を受けた地域の方々の避難所として機能していたそうです。最大で30人が生活していたと聞きます。環境負荷軽減を目指した建物ですので、断熱性能にはこだわりました。30人で過すと人間の熱で暖房が必要ないレベルです。
地震直後から燃料の問題もありました。標高が高く寒さの厳しい場所ですので暖房が使えない事態は避けなければなりません。しかし、この建物は暖房と給湯に薪を使いますので問題なかったと聞いています。
避難者の多くが「別の施設に移動したくない」と言ったとも教えていただきました。たくさんの建物が人の命を奪う大災害でしたが、こうして人を守った建物もあります。「までいな家」の建設に関われたことは私の誇りです。
 
 
 
一日も早い事故の終息と復興を祈っています
 
 
2011年03月31日
豊田善幸